呉海軍墓地の歴史と由来
呉海軍墓地は、明治23年(1890年)に海軍軍人の戦没者や殉職者の埋葬地として、広島県呉市長迫町(旧和庄町)に設置されました。
以来、海軍呉鎮守府の管理のもと、毎年慰霊祭が丁重に行われてきましたが、昭和20年(1945年)の大東亜戦争敗戦により、慰霊行事はすべて廃止されました。
敗戦の年、呉地方は空襲や大水害による戦争災害に襲われ、海軍墓地全体が廃墟となりました。
その後、地元有志の協力で復旧が行われ、「大東亜戦争戦没者の碑」が建立されました。
昭和40年(1965年)頃からは、生存者やご遺族、心暖かい有志による奉仕活動が続き、戦没者の慰霊碑や鎮魂碑が次々と建立されました。
現在、呉海軍墓地には開設以来120年、各艦船・部隊ごとの慰霊碑91基、個人碑157基、英国水兵の墓1基があり、約13万余柱の御霊が安らかに眠る聖地となっています。
現在の寄附による維持
建立された墓碑は169基、さらに合祀碑が80基あり、戦前から続く歴史の重みを感じます。
管理は国ではなく、**「公益財団法人 呉海軍墓地顕彰保存会」**という民間団体の手によって行われています。
運営費は全国から寄せられる寄附金によって支えられ、ボランティア清掃や植栽、整備などの日々の管理に活かされています。
ここに立つと、歴史の重みだけでなく、**「あなたたちのことは忘れないよ」**という人々の想いが伝わってきます。
呉海軍墓地は、寄附を通じて、訪れる人々の敬意とともに未来へと守られているのです。
訪問時の様子と写真コーナー
事務所で直接寄附することも可能です。
前回訪れた時には、一つの墓の前で海上自衛隊関係者の方が15人ほど何かをされていました。おそらく、その船の撃沈に関わる日だったのかもしれません。
また、たまたま墓地に詳しい方がいて「今、あそこのお墓では〇〇しています」と教えてくれました(内容は失念してしまいました)。
これは、9月に行われる合同追悼式とは別の、静かな祈りの一場面でした。
本日伺いましたところ、事務所反対側の写真コーナーの内装を変えたとのことでした。寄附をさせていただき、写真を眺めて帰りました。
運営には寄附が欠かせず、日々の維持費は厳しい状況であることもあるようです。

