広島の街の象徴的な存在であったホームレス、広島太郎さんが亡くなりました。
広島太郎さん見ないと思ったら亡くなられたのか
— ジライヤ@本通りから広島を盛り上げる人 (@jiraiyamenmen) October 8, 2025
SNSでは以前から訃報がささやかれていましたが、今日、正式にニュースとして報じられました。
広島太郎とは?
広島太郎さんは、40年以上にわたって広島の街に暮らすホームレスで、30代以下の広島市民にとっては「生まれたときからそこにいる」存在だ。自転車で移動したり、商店街や街角に座り込んだりと、街を独自の視点で眺め続けた。
美術館での紹介される
2010年、広島市現代美術館で開催された特別展『HEAVEN 都築響一と巡る社会の窓から見たニッポン』では、太郎さんの姿がポスターに使われ、街やSNSでも話題になった。
“HEAVEN 都築響一と巡る 社会の窓から見たニッポン”
ふつうの人々
シロウトの情熱のカタマリ
まいっちんぐくいこみ先生
失って、はじめてわかる大切なもの
オレサマ道
天才とクズ、真実とハッタリ
かっこわるいけど気持ちいいどりゃー
どりゃーおじさん時間は信頼を裏切らないからね
広島太郎
☆ https://t.co/7xDAddcD48 pic.twitter.com/tw0A2tXHLw— 秋田猫 (@shizuku_kiiko) August 13, 2021
生涯と経歴
1947年、広島市安佐南区に生まれる。父は鉄工関係の仕事に従事しており、厳格だったが、太郎さん自身は草野球や絵を楽しむ普通の少年だった。
高校3年生のとき、家庭の事情で父に対して大きな行動を取った後、広島大学政経学部経済学科に進学。学園紛争の時代でも学問に打ち込み、級友からは「学者さん」と呼ばれた。
大学卒業後、東洋工業(現マツダ)に設計技師として勤務。しかし職場での恋愛トラブルから退職し、ブラザーミシンに入社するも、社内慣習に違和感を覚え、即退社。以降、「無職が仕事」という自由な生き方を選んだ。
趣味と日常
趣味はギャンブルや歌。競馬や競艇で高額配当を引き当てることもあった。夜は街角で歌を披露し、地元の人々と交流を楽しんだ。
HEAVENの展示当時は、自転車に人形や掛け時計を飾り、茶色のタロキチと黒のフミオという2匹の猫を同乗させていたこともあった。(5匹ぐらい猫を連れていた時期もあるが、後には見かけなくなった)
太郎さん自身は時計について、「時間は信頼を裏切らない」と語っていた。
広島の街の象徴
独特な生き方とスタイルで、太郎さんは街の人々に強い印象を残した。広島太郎さんの存在は、これからも広島の街の記憶として、人々の心に残り続けるだろう。
